おうみネット第43号

NPO座談会■ 「抱きしめてBIWAKO」検証

 

 

 1987年11月8日。琵琶湖の周りに21万人あまりの人が集まり、手をつなぎました。それが「抱きしめてBIWAKO」です。重度心身障害児施設であるびわこ学園移転費用の一部を捻出するために行われたこのイベントは、その後の様々な活動に大きな影響を与えました。
今回の「おうみネット」では、この「抱きしめてBIWAKO」に関わられた3人の方に集まっていただき、その魅力を探りながら、県民イベントからの市民活動へのきっかけづくりについて語っていただきました。

 

小梶 猛さん
しみんふくしの家八日市理事長。地域にこだわり、八日市市で痴呆の方の居場所づくりを一つのメインテーマに、痴呆専用のデイサービスホームを開所。現在は痴呆専用のグループホームで保育も実施。小規模多機能を目指し、地域の中で地域の人が地域の人の生活を支えるという形で活動。八日市大凧まつり実行委員会委員長でもある。
成瀬和子さん
特定非営利活動法人しみんふくし滋賀常務理事兼事務局長。しみんふくし滋賀は「抱きしめてBIWAKO」に参加し、中心になって活動していた人たちが、会員の相互扶助という形で小さな子どもからお年寄りまで、人間としての尊厳を持って暮らせる社会を創ることをめざして設立。現在、保育事業、給食事業(配食サービス含む)、訪問介護事業、居宅介護支援事業に取り組む。先頃、近江八幡のあきんど道商店街でデイサービスセンターを開所。
中山みち代さん
社会福祉法人パレット・ミル常務理事。自立就労センターパレット・ミル所長。障害を持つ人たちの経済的な自立を助けるための施設で、最低賃金保証をめざし始める。最初パレット修理の仕事から始めたため、「パレットミル(工場)」と名付けた。業務内容として、各企業からの受託事業をはじめ、パンなどの食品製造、組ひも加工品、そのほか、無農薬によるブルーベリー栽培などを行っている。

 


「抱きしめてBIWAKO」(以下「抱きびわ」)は、当時の湘南学園(児童養護施設)の園長であった中澤さん(※注1)が発起人と聞いていますが、皆さんが「抱きびわ」に関わられたきっかけをお聞かせ下さい。

小梶 僕は学生の時から中澤さんと友達で、それまでも彼がなんかやるというと大体事務方の仕事をやらされていました。あの頃は自分も仕事をしていたので一度は断ったんですが、再度依頼があり、地元の八日市でできることならということで引き受けました。また、その頃になるとマスコミなどでイベントのことを取り上げられていて「抱きびわ」はある程度ブランドになっていました。ですから、これを利用して青年団を再生できないかと考えて大凧を巻き込んだんです。大凧まつりはもともと市の実行存委員会だけでやってたのですが、われわれが勝手連的に押しかけて今のような形になりました。だから、これも「抱きびわ」がきっかけと言えます。

中山 その頃は湘南学園(児童養護施設)で理事をしていて、ボランティアで湘南学園の喫茶店を手伝っていました。中澤さんから「抱きびわ」の話を聞き、是非、協力したいと思い「抱きびわ」のイベントでお茶席を1キロに渡って持たせていただきました。ボランティアをやり始めた頃の大きなイベントで、今思うと自分自身の中では大きな節目かなと思っています。

成瀬 私は湖南生協で理事をしていました。生協として協力したことが「抱きしめてBIWAKO」に関わったきっかけです。当時福祉は、どちらかといえばハンデを持った人たちだけのもので、私たちとは無縁と思われた世界でした。しかし、福祉は限られた人が困っているから助けるというものではなく、自分たちのもので生活そのものなんだ、ということに気づかされました。そんな「抱きびわ」イベントがきっかけで「福祉の社会化」ということが言われ出し、そのことをきちんと自分たちのものにしなければいけないと思うようになりました。

 


手をつなぐだけで参加費1000円も出して、多くの人が集まった「抱きびわ」の魅力はなんだったと思われますか。

中山
 身近さだと思いますね。ボランティアというと、なにか身構えて「しなければ」という印象が一般の方には強いのではないかと思うんですね。でも、ちょっとしたいなと思っている方はたくさんいると思います。それが簡単にできたのが「抱きびわ」だったのではないでしょうか。また、手をつなぐんですから一人ではない。目に見えない仲間意識みたいなものが持てたのも良かったんだと思います。

小梶 中山さんと同じですね。「抱きびわ」の前は、市民が福祉に関わるというと、どこかへボランティアに行ったり、何か寄付をすることでしか関われなかった。そういう意味で、本当に身近に市民も福祉に関われるんだというきっかけになったのが「抱きびわ」だと思います。「琵琶湖を抱く」という夢物語のような馬鹿馬鹿しいことでも、大勢でやったら面白いことになる。楽しくなかったらお金なんて出せないですよね。意味がないようで意味があるというのが良かったんだと思いますね。

成瀬 「日本で一番大きな湖を抱く」なんてことは一人では絶対できないことですよね。でも、たくさんの人が集まったらできるということをみんなに思わせた。また、今まで何も考えていなかった人(環境や福祉のこと)も湖を見て「うわ、きれいやな」「ここは汚いなぁ」ということ気付かされたのではないでしょうか。そういう意味では福祉や環境において考えるようになった初めの一歩になったイベントだったと思いますね。

「抱きびわ」後、いろいろイベントがありましたが、これほどインパクトを与えるものがなぜ出てこないのでしょうか。

成瀬 「抱きびわ」は「びわこ学園の移転」という目的がはっきりしてましたね。そういうものが必要なのかなという気がしますね。それと、いろいろな方の支えもあって成功したのですが、やはりきっかけが市民から盛り上がったイベントだったことがすごく大きいと思います。上(行政サイド)から下に拡がっていくものとはまた違うような気がします。

中山 下から湧き上がっていくためには、カリスマ性というかエネルギーが要るじゃないですか。やはり求心的に引っ張って、夢を見させてくれる人がいないということがあるのと違いますか。だからなかなか第二の「抱きびわ」はできない。

小梶 求心力に欠けているものが多いんでしょうね。それは別に滋賀県だけでなくて、いろんなイベント総じてだと思います。「抱きびわ」は何もないところから始めた。だからいろいろなことが試行錯誤できたんだと思います。その後はベースというか逆にイメージができてしまった、という気がしますね。

「抱きびわ」が遺したものは何でしょうか。

小梶 「市民が福祉を考えよう」っていうコンセプトが「抱きびわ」にはありましたよね。一番の成果は、市民の関わる福祉が進んできているということだと思います。

中山 今、県内で市民活動として福祉をやっている人の中には、「抱きびわ」に関わった人が多いですよね。こうしてお話していますけど、根はどこかで繋がっているようなところがありますものね。

成瀬 私の所もそうですが「抱きびわ」を、中心となってやってきた人たちが組織を立ち上げられています。今は、小梶さんの所に代表されるように、地域でやっていきましょう、身近な所で支え合うことが良いということが見直されてきました。大きなイベントがなくても小さな所で本当に成果をあげています。ひとつの大きなまとまりではなくても、市民活動として様々なことを考える人が沢山でてきたのではないかと思いますね。

小梶 例えばNPO法人を「市民活動法人」と言い換えたときに、よそに比べて滋賀県は、本当の意味での「市民活動法人」と名乗れるところが圧倒的に多いのと違うかなという気がしますね。

ボランティアやNPOに若い人たちが参加するきっかけづくりとしてのイベントというのはどんな形のものがいいと皆さんは思われますか。

中山 「気がつけば福祉」と「抱きびわ」の時に言われたと思うんですが、琵琶湖を抱きしめることは福祉でも何でもなかった。その影に隠れた千円というのが福祉でしたからね。「気がつけば福祉」となるような面白いイベントが必要かなと思うけど、なかなかそれは難しいですね。

小梶 活動とかイベントというのは私物化するものと思っています。だから「皆さんのためにします」というのではなく、自分がやりたいことをどう普遍化するかによって活動の中味は決まってくると思います。自分がやりたいと思わないものは人もやりたいと思わないだろうしね。

成瀬 市民活動に関わる人にいつも「仕事面白い?」と聞くんですよ。このことが必要だと思う前に、「この活動は面白いな、楽しいな」と思うことができれば、活動も苦にならないと思うんです。

中山 イベントっていうのは、沢山の人を動かさないといけないと思うと、しんどいものがあります。自分が心底面白いと思わないと、人に勧めることはできないですよね。一人ひとりの「面白い、楽しい」という思いが多くの人を呼び寄せていくんだと思いますね。

今日はどうもありがとうございました。