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淡海ネットワークセンター(Ohmi Network Center for Voluntaly Organizations)
淡海ネットワークセンターは、地域や社会の課題解決に自主的に取り組むNPOや市民活動をサポートしています。


NPO夏休み特集

 今回のおうみネットでは、高校生を中心に在日朝鮮人や障害者の人権問題に取り組んでいる「セパド実行委員会」の活動を通じて、若い人がどんなことをきっかけにして活動に入るようになったのかについて考えたいと思います。

さん


滋賀県立大津中央高校(現大津清陵高校)在勤中、
「セパド・人権を考える高校生のつどい」の活動をはじめる。
現在、滋賀県立野洲高校国語科教諭。

●「セパド実行委員会」を立ち上げたきっかけについて教えてください。
■徳永 1993年に大津市が、当時無年金状態にあった在日朝鮮人の障害者・高齢者に対し、市独自に福祉金を支給することになり、そのPRの一環として、支給手続きのお手伝いに高校生をボランティアで参加させてくれないか、という呼びかけがあり、北大津高校と大津中央高校の生徒が参加しました。こちらとしては、在日の方と出会う機会なので生徒を参加させるのはよいが、その後に、出会い・話し合いの場を設けてくれないかと依頼しました。その時生徒たちから「在日朝鮮人問題について、今まで知らなかったし、もっと知りたい。できれば在日の同世代の若者と語り合える機会をつくってほしい」という声がでました。そういう声を聞いた以上、場を設定するのは大人の責任ということで、関係者の協力を得て、その年の9月に第1回の「セパド・人権を考える高校生のつどい」を開催しました。

●どんなかたちで会をすすめているのですか。
■徳永 「セパド」には私を含め、教師も参加していますが、それは教師としてではなく、地域生活者の一員として、いわば、地域のおっちゃん・おばちゃん的に、気楽に人権についてしゃべろうよ、という感じでしています。出会ってしゃべることが大事なんですね。会の名称の「セパド」の意味は、何かいい名前がないかと考えたとき、ちょうど大阪で「セッパラム(新しい風)」という名称のグループが同じような趣旨で活動をしていたので、それを受けて「びわ湖に新しい波がおこる」という意味で「セパド(新しい波)」と名付けました。

●高校生の参加はどれくらいですか。
■徳永 年によって違いますが、25〜50人の間です。

●「セパド」でどんな取り組みをされているのですか。
■徳永 在日朝鮮人に対する差別問題をはじめ、日本社会のさまざまな人権問題について話し合いをしています。ここ十回続いてキーワードになっているのが、「誇り」と「違い」。違いを認めることが「セパド」で人権を考える一番の柱になっています。

●参加することで高校生の意識に変化は見られますか。
■徳永 一般論でなかなか言えませんが、例えば、民族学校の生徒は自分たち民族に「誇り」を持っているんです。参加する日本人高校生からいつも、「なぜそんなに誇りを持てるのか」と疑問の声が上がります。そこで逆に、自分たちが誇れないのはなぜかとか、自分たちと社会の関係性を考えることにつながります。差別についても、被差別部落出身の子などは、いつも自分は差別をされる側で考えてきたと思いますが、在日の子の話を聞いていると、やはり、立場が代われば差別をする側だとわかる訳なんです。両方から差別を見抜いていかないと差別はなくならない、ということを考えるようになります。
 民族学校生のほうも、「人権」を真正面にした交流は少ないらしく、同世代の日本の高校生や日本の学校へ通う同胞との出会いは刺激になるそうです。
 私自身としては、生徒たちに、これから地域社会人として地域社会で生きていく中で、被差別の人、外国人、障害をもつ人などいろいろな人が地域で暮らしている。そういう中でいずれ生きていくにあたって、どんな出会い方つながり方をしていけばいいのか、という意識の出発点に「セパド」が応えられればと思っています。今よりもよい地域社会をつくっていくためにいい出会いをしてほしいという思いを託しています。

●「第11回セパド人権を考える高校生等のつどい」の様子。

●今は、実行委員会というかたちで、活動は話し合いが中心ですが、もう一歩踏み込んで、組織化して、社会に向けて活動しようと思っていないのですか。
■徳永 継続的な組織にしてしまうと、形骸化してしまうし、組織を維持していくために個人が疎外される危険があります。できるだけ自由でアグレッシブな個の集合体という枠組みでやっていきたいと思っています。
 「セパド」はあくまで出会う場所と考えていて、たとえば、そこで出会った者同士がまた何か考えよう、何か行動を起こそう、その動きが、例えば環境に向かうかもしれないし、人権に向かうかもしれない。それはそれでいいと思いますが、「セパド」がそれに向けて変わっていく、ということはしたくないと思います。今は毎年立ち上げ、毎年解散するという形で、毎回新しい高校生が来ています。彼らに応えられる場、「問題との出会いの場」ということを大事にしたいと思っています。「知らない」ということが、自分自身の人権や社会的立場を失わせているということに気づく場でありたいと思っています。
これは今後の「セパド」の活動にも影響することですが、今までの滋賀県奨学生集会を再編して、昨年度、県人権センター主催で滋賀県高校生交流集会が立ち上がり、十年間セパドが背負ってきた諸課題について、ひとつ新しい受け皿ができました。全体的なところはその集会に委ねて、「セパド」は「在日朝鮮人問題」という原点にこだわろうかと話し合いをしているところです。

●「セパド」に積極的に取り組むよう生徒の気持ちを動かしたものはなんだと思いますか。
■徳永 なんだったんでしょうね。学校で人権学習を担当している立場で思うのですが、人権学習が考え方の段階でとどまっていて、考え方や発想を変えて終わりみたいなところがある。子どもは「えっ」と思ったことにじっとしてはいられない。何かしてみたい。学校は一歩踏み出せないので、そのことに応えられない。「セパド」はその辺りに応えられているのかもしれませんね。

●学校では一歩踏み出して生徒に応えることはできないのですか。
■徳永 やろうと思えばできると思います。けれども「高校はこういうもの」という固定観念、いわば高校適格者主義みたいなものに学校自身がしばられていることが多く、そういう発想の中に人権学習が位置づけられている。人権学習も消化科目、年間の取り組みのひとつであると。人権に敏感な子どもにとって、特に被差別の立場にある子どもからすれば、学校の人権学習に不満があります。「セパド」は学校の枠組みを越え、しかも直接の出会いもありますから、その辺りに応えられていると思います。

●学校でボランティア活動を義務化しようという動きもありますが。
■徳永 「形」として学校現場に定着させようという動きは強まっていくと思いますが、今の教育行政主導のやり方は単なる「勤労奉仕」のようなもので、個人的には反対ですね。学校現場でも社会でも勘違いされているところだと思うのですが、ボランティアとは人に喜ばれることをすることといわれていますが、私はちょっと違うと思います。自分が喜べることをするのがボランティアだと。誰も誉めてくれないけれど、それをしている自分が好きなんだ、というような主体性が一番の出発点にないといけないと思います。「セパド」に参加してくれた子の中で、自主的にさまざまな活動に飛び込んでいる子がたくさんいます。彼らは、誰に教えられたわけでなく、当たり前のこととしてやってくれています。それがいいんじゃないかと思いますね。

「大人の役割は、どれだけ生徒のエンパワーを保障できるか、だと思います」と語る、徳永先生。

●十代の子どもがなかなかボランティアなどの社会参加をしないのはなぜだと思いますか。
■徳永 学校や大人の側が、子どもに「与える」情報やイメージをチョイスしすぎている。しかも、それが子どもにとって魅力的でない、ということが一番の問題だと思います。今の十代の子が、例えば社会に対し問題意識が低いとか自分の思っていることを言えないとかいわれますが、問題意識がないわけでなく、よく考えていますよ。ただ、確かに人とのコミュニケーションは下手ですけれども。自分たちの考えを自由に出していいよ、という場所がない。「セパド」は枠組みだけ用意して、あとは勝手に自分たちでやっていいよ、と。その中では結構、自由なやりとりができたし、参加する教師や大人たちも、同じ地域で生活する人間として高校生と同じ視点で、この問題をどうするかと議論に参加しています。「セパド」に参加した高校生は無条件に「楽しかった」「また参加したい」と思ってくれています。大人の役割は、どれだけ生徒のエンパワーを保障できるか、だと思います。

●子どもの気持ちを動かすのは大人の責任と思いますが、大人はどんな環境を作っていけばよいと思われますか。
■徳永 知らないことを「知らせる」ということも大事ですが、例えば教師が学校で人権を教えるときに、その教師自身が、学校を離れてひとりの地域の社会人として、社会に対してどんな視点で、どういったかかわりを持って、どういうつながりをつくろうとしているのかが問われると思います。その意味で今の大人が魅力的なモデルイメージになっているかが大きく問われます。
 人権は目の前で起こっている社会の問題なのに、学校では古びた教材のように教えている。なぜ人権学習をするのかという説明に時間を割いていないし、十分なされていない。そのため、「させる・させられる」という関係になる。教師が高校生に人間として対等に向き合い、まず信じることが大切だと思います。その上で、動機づけ、視点をはっきり示し、高校生に納得のいく説明ができれば、子どもは自発的に動くと思います。本当に純粋ですから。ただ、高校生の感覚に触れることができる教師が少ないです。大人も常に感性を磨き続けないと高校生との接点は難しいと思いますね。

ありがとうございました

注)ここでの「在日朝鮮人」という呼称は、韓国・朝鮮・日本等の国籍にかかわらず、
  朝鮮民族であることにアイデンティティをもつすべての人に対するものです。


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