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統計の母集団は違うが、10年ほど前に都道府県別のボランティア参加率を比較した新聞記事があって、滋賀県の参加率が相当高かったと記憶している。琵琶湖を中央に抱え、流れ込む流域に人びとが住んでいて、身近な河川から琵琶湖までの清掃活動に参加していることがカウントされていたのかもしれない。今は市街化されているJR沿線でも、30年ほど前には田園が広がる風景が続いていた。農業を基盤とする地域社会では、小さな川も道も共同作業で水路の維持管理するものだとされていたが、河川でつながっていた農地は工場や住宅・商業地に分断され、維持管理も難しくなっている。
環境保全といっても捉え方がいくつかあって、駅前や街中のゴミを拾うのは、衛生的に保つための生活環境の維持であるし、山林や河川・海洋の保護活動は、生態系の保全を指す。
循環型社会をテーマにしたあるシンポジウムに出席したとき、10年ほど人の手が入らなかった里山の整備活動の紹介に対して「人の手を加えるのは、自然を壊している。手を加えないのが自然保護だろう」と批判が上がった。品のいいスーツをピシッと決め、インテリジェンスを感じさせられる人だったので、ピーンと来た。書籍か教室で学んだ自然vs人工の対比思考なのだろう。発表者の補足説明も納得できなかった様だった。今は笑い話になったが、林業家が枝打ちをしていたら、生徒を連れた教師が通りかかって「おじさんが、木をイジメてる。ダメねぇ」と教えたとか。よく似た話はある。
人間を含めた複雑な連鎖の中で、自然はバランスを保っている。人間は、絶滅種や危惧種を復活・繁殖させる事ができても、養うだけの空間を奪ってしまった。他方で人間は、小さきもの、弱きものを守る方法を知っている。小さな取り組みに見えても、活動を続けることで、理解する人、支持する人を広げ、つないでいく。これは、人間の良心に火を灯し続ける活動のように思える。
(事務局スタッフ 木村光一)
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