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ボランティアは、「志願兵」が原義であるように自分から進んで行動するという自由性、任意性を持っている言葉である。大震災や原油流出事故のあと、奉仕活動とは異なるボランティアの行動は共感を持って理解されるようになった(はずである)。テレビを見てじっとしていられず、各地で物資を提供、整理、配送などの後方支援に関わった人も多かったのではないかと思う。
解決すべき課題を見つけ、どこまで取り組むかは本来ボランティア側が決めるのだが、奉仕と捉えてしまうと行動の期待値が先に決まるように感じる。期待する度合いと実際のボランティアの活動内容に不足を感じると、ボランティアに不満がぶつけられるのはこのためだろう。
よく、期待に応えようと自分の力量以上に頑張るボランティアは、ムリを繰り返して心まで疲れてしまい、やがて第一線を離れ、二度と活動しようとしなくなると聞いたことがある。ボランティアをする側にも誤解があるのだろうから、特に継続した活動においては、達成すべき目的や活動内容、誰に対してどのようなボランティアが、いつどこで、どのように行うかを、プログラムできる人が必要になってくる。これが、ボランティアセンターの重要な役割として知られたのも、阪神淡路大震災であった。
この9月25、26日には、全国ボランティアフェスティバルが滋賀で開催される。ボランティアで運営に参加する機会もあるが、ボランティアの役割を個別明確にして、うまくコーディネートできる人が育つプログラムも組まれることを望みたい。地域でボランティアが頑張れるのは、この役割を担う人が不可欠だからである。
先日、「ボランティアは、したことがないです」という若いお母さんに出会った。話をするうち、近所の子ども達と一緒に遊び、行事の世話もしているという。それが、ボランティアですよと言うと、とても素敵な笑顔を返してくれた。
(事務局スタッフ 木村光一) |