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淡海ネットワークセンター(Ohmi Network Center for Voluntaly Organizations)
淡海ネットワークセンターは、地域や社会の課題解決に自主的に取り組むNPOや市民活動をサポートしています。


■NPOインタビュー■

いまボランティアについて考える

 災害現場や地域での防犯活動での取り組みなど、「ボランティア」の活躍が日々マスコミで取り上げられています。また、ボランティア活動に参加する若い人も増えてきています。
 ところで、皆さんは「ボランティア」をどうとらえていますか? 今回の「おうみネット」では、よく耳にする「ボランティア」について、龍谷大学社会学部地域福祉学科の筒井のり子さんにお話を伺いました。

筒井のり子さん・プロフィール

龍谷大学社会学部地域福祉学科教授
1983年に関西学院大学大学院修士課程修了。大阪ボランティア協会に勤務し、市民活動団体の事務局を7年間担う。99年4月より龍谷大学勤務。地域福祉論、ボランティア・市民活動論担当。NPO法人日本ボランティアコーディネーター協会代表理事。

筒井のり子教授

■ボランティアに参加する若い人が増えてきていますが。

筒井:日本のボランティアの流れのなかで、戦後すぐ、1950年代から70年代中頃までは「ボランティア」というと、学生や若い勤労者を中心とする「若者」のイメージでした。70年代後半から80年代にかけて、高齢化社会への危機論がかなり意図的にうたわれました。ちょうど同じ時期に「自分が年をとっても住み慣れた町で暮らし続けたい、障害があっても街中で暮らしたい」という地域福祉の考え方が出てきました。でも現実は、そのための在宅保健福祉サービスはきわめて貧弱。そこで、なければ自分たちで作りましょう、という動きが、中高年の女性中心に起こってきました。90年代以降、生涯学習の中にボランティアが位置づけられ、定年後の人の参加も増えました。同じ時期、若者向けの雑誌などで「ボランティアはかっこいい」といった特集が立て続けに掲載され、80年代には遠ざかっていた若者が再びボランティアに目を向けるという動きが出てきたように思います。
 このように、90年代に入った頃から、それこそ、こどもからお年寄りまであらゆる層がボランティアに参加するという感じになってきています。阪神淡路大震災の時に「若者がすごく集まってびっくりした」とマスコミに書かれましたが、ボランティアセンターなどでかかわりを持っていると、そんなに驚くことでもありませんでした。
■龍谷大学にも「ボランティア・NPO活動センター」があり、
学生が集っていますが、彼らはボランティアをどのように
 イメージして集まってくるのですか。
筒井:余談ですが、センターに名前を付けるときに一悶着あったんです。「ボランティアセンター」だと一般的にはどうしても「福祉」というイメージが強くなるようだし、「NGOセンター」だと「開発援助・国際協力」というイメージになります。そこで「ボランティア・NPO活動センター」と名付けられたのですが、幅広い学生が集まる良い結果を生み出しています。
 センターに来る学生に聞いてみると、やはり「ボランティア」というと、施設へ行ったり、車いすを押したりとか、狭い「福祉」のイメージなんですね。実際にボランティアやNPO活動の分野としては「福祉」領域が多いのですが、しかし、彼らのイメージはきわめて限定された「福祉」イメージで驚きます。でも、センターに来て、いろいろ活動したり、活動している人や団体の話を聞いたりすると、自分たちが持っていたボランティアのイメージがいかに偏ったものかがわかったと言います。

■これまでの学校生活の中で「ボランティア」について
 学ぶ機会が多かったと思いますが。

筒井:今の学生は小中高校時代に福祉の授業やボランティア体験などをやっているはずなのに、それでも「ボランティア」に対するイメージが悪いんですね。ひとつは、学校で行われている、「ボランティア体験」というのが、教育プログラムとして行われているのか、子どもたちの「ボランティア活動支援」なのかが、すごく混乱していると思います。教育プログラムならば、確かに関心のない子も含めて、むしろ半強制的にでもさせる事によって新たな気づきがあるかもしれません。クラスの全員で施設を訪問することを否定はしませんが、それを「ボランティア」と称している。ボランティアってそうではないですね。「社会体験活動」に「ボランティア体験活動」という言葉を使うからややこしくなる。単に「体験活動」でいいわけです。ボランティアという言葉があまりにも使われすぎていて、それによって子どもたちのボランティアに対するイメージがゆがんできているようにも思います。

■東京都教育委員会が高校で奉仕活動を義務化することを決めましたが。

筒井:ここでは「ボランティア」という言葉は使っていません。卒業必修単位で義務化しているので「奉仕活動」と呼んでいます。つまりボランティアと奉仕活動の違いを、自発性を求めるかどうかだけで分けているわけです。「ボランティア」にはもちろん、自発性の部分も大事ですが、根底には「自治」つまり「自らの社会、自らの地域社会を市民が主人公でつくっていく」という発想が土台にあります。奉仕活動にはそれがない。活動を通して社会の矛盾に気づいたり、憤ったりして自分との関係性を求めるものがボランティア活動。奉仕活動は「社会に良いことをしましたね」で終わってしまう。そこが根本的で、単に自発的・強制的な分け方以上に大きな問題だと思います。
■ボランティアの根底にある「市民自治」という発想はあまり語られませんが。
筒井:ボランティアをするしない、するにしても何をする、どこまでするという事を含めて、すべて自分で決めないといけない。自ら選び取っていかないといけないわけですね。活動する中で、社会の課題に対して自分自身で何ができるのかを考え、行動する。このことは自治の原点だと思います。六,七〇年代ころはボランティアについて「やる気・世直し・手弁当」と表現されていた。「市民自治」はボランティアにとって自明の理だったんですね。でも「世直し」や「市民自治」というと重くて、少し引くでしょう? 運動論として、社会的な使命感に燃えた人しかできない活動と思われると拡がらないので、「だれでも気軽に、楽しく、得意なことからやりましょう」というのを八〇年代中頃くらいから割と意識的に言ってきた。言ってきた人の中には「市民自治」は前提としてあったのですが、だんだん、前提の部分が語られなくなり、気軽ということだけが語られてしまった。振り子の揺り戻しではないですが、もう一度、課題と自分との関係性や社会のビジョンについて、活動を通して伝えていく必要がある時期かなぁと感じています。
■NPOとボランティアの関係はどうお考えですか。
筒井:ボランティアの定義が「世直し」つまり社会づくりであるので、その組織体がNPO。有給スタッフを含む場合はボランティアグループとはいわない程度の違いだと思います。
■有給スタッフのことがでましたが、
「有償ボランティア」についてどう思われますか。
筒井:「有償ボランティア」の議論は日本独特の不思議なものですし、本来矛盾した表現なので使用しない方がいいですね。外国では無償以外あり得ない。交通費や材料費といった実費弁償以外に、たとえ低額であっても決められたお金をもらえば、それは「労働」と見なされます。実費弁償(無償の範囲)と「この労働に対していくら」という労働対価をきっちり区別する必要があります。人や団体によっては交通費や材料費の実費弁償を含めて「有償」といっている場合もありますが、そういう場合も「有償ボランティア」という言葉を使わずに「実費弁償」とはっきり言う。いま、整理していく段階にあると思います。
■ボランティアに関心を持ち、何か始めたいという人は多いと思いますが。
筒井:ボランティア活動の根本は自己責任。つまりやる、やらないもそうだし「ここまで」ということがないので、どこまでやってもいいし、やらなくてもいい。ボランタリーな人は活動をやり始めてさらに気づく。そしてどんどんのめりこみ、しんどくなり、そして突然来なくなったりする。自発的な活動なのに、結果的に自分の首を絞めてしまう。「やりたい」といったことによって自分がしんどくなる。金子郁容さんは「自発性パラドックス」(注)と表現していますが、つらいけれども「これ以上できません」といえることも責任なのです。
 でも、とにかく何かを始めてみないと何も始まりません。そして活動後、議論や感想を言い合う場をきちんと設けることで、人は成長していくものだと思います。
注)「自発性パラドックス」…自発的に問題に取り組む人が、自分を追い込み、かえってしんどさを抱えやすくなる事態のこと。金子郁容『ボランティア−もうひとつの情報社会』(岩波新書)より

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